福島事故に関する提言

 

関係者の思考様式と意識

 

はじめに

2011年3月11日に福島第1原子力発電所において原子力災害が発生して以来、私がずっと考えてきたことは、「我々は何故過酷な事故を防ぐことができなかったのか」という疑問である。東京工業大学・原子炉工学研究所の一員として原子力分野の末端にいた私自身は、ほんの僅かでも良いから事故を未然に防ぐことに貢献することができなかったことを反省している。


原子力ムラの人達も福島事故の意味を反省し、意識改革をしない限り原子力を推進する資格はないと考える。

 

私が事故原因として考えることは、事故の背景にある日本的な組織の傾向である。事故原因は想定を越えた津波でも技術に欠陥があったことでもない。それまで想定していた地震動や津波を越える事態が起こり得ることを地震学者が指摘したとき、それを想定することを原子力関係者が拒否したこと、9.11テロ事件の後に米国が電源喪失への対応を強化することを伝えてきたにも関わらず、その忠告を無視したこと。これらの背景には、戦後の日本が採ってきた社会制度、あるいは人々の行動様式や思考様式にあるのではないだろうか。

 

55年体制

戦後10年を経た1955年に自由民主党が衆議院議席の過半数を占める第1党になり、いわゆる55年体制が誕生した。この55年体制は約40年間も続き、その間に与党の自由民主党が官僚と一体化して主要な政策を決定し、実行する社会制度が日本に定着した。55年体制下の生活が、気がつかない内に日本人の行動様式や思考様式に大きな影響を与えていたとのではないかと思う。


1993年の総選挙で自由民主党が過半数を大きく割り込み、55年体制が崩壊した。ちょうどこの時期、日本経済はバブルがはじけ、高度成長から低成長の時代に移行した。先進国に追いつき追い越せという国家目標が達成された途端、目指す目標を見失ってしまい、次の目標を手探りで探す時代に日本は入った。国民の多くが共有することができる生き方の目標が未だ定まることがなく、新たな目標を求めて日本は右往左往している。日本は在来の価値観や思考様式から脱皮して、新しい価値観・思考様式に変革するべき時代をむかえた後、現在に至っているが、まだ答えが見つかっていない。


55年体制が崩壊した時期は、ちょうどソビエト連邦が崩壊することによって米ソ間の冷戦が終焉した1991年とオーバーラップする。それまで有効と考えられていた資本主義が万能であるという訳でもなさそうである。


原子力基本法

55年体制が始まった1955年に原子力基本法が制定され、日本は原子力を導入する方向を決定した。原子力基本法の第2条「基本方針」では、民主的、自主的、公開という3原則が明文化された。その当時、原子力は夢のあるエネルギーと考えられ、原子力の研究が大きな期待を背にしてスタートした。国産の研究用原子炉が建設され、原子力技術者の養成が進展した。1970年代に入ると米国の技術に基づく原子力発電所が国内に建設されるようになった。

 

原子力ムラ

原子力開発は社会正義であると考える学者は、原子力で利益を得る人達と手を組むことになった。利益を得る人達とは産業界(電力会社、プラントメーカー)、政治家、官僚から成る集団である。原子力を推進することにより利益を得る産・官・学の集団の結束が次第に固いものとなり、いわゆる「原子力ムラ」が形成されていった。この「原子力ムラ」は55年体制の与党と組むことによって安定なものになったと考えられる。ただし、「原子力ムラ」の住民になるための特別な住民登録があるわけではなく、価値観あるいは意識において共通性をもつ人達が「原子力ムラ」の住民と考えられる。

 

原子力を夢のエネルギーと考える故に、夢を壊すようなネガティブな面に目を向けることがタブーになったのではないかと思われる。その結果として、原子力が潜在的にもつ危険な側面を深く検討することを次第に避けるようになった。

 

原子力の危険性を指摘する人がいると、原子力を推進したい集団は、指摘された危険性が問題にするほどのものではないと反論するか、原子力施設は多重の安全防護設備で護られているから十分に安全であると反論する。CO2による地球温暖化が話題になると、原子力発電はCO2を排出しないから地球環境に優しいと宣伝し、放射性廃棄物の問題には口を閉ざす。原子力の利点を強調することに熱心であるが、弱点については黙ってしまい都合が悪いことを隠すようになった。


こうした生活習慣から生まれた思考の行き着く先が「安全神話」である。これは建前としての安全と同じ意味である。「原子力ムラ」の中では常識となり、これに異議をとなえる者は無視・除外される。

 

他方、政治の世界では、与党が原子力を推進するから、野党は原子力に反対する。何がどのように危険なのか、なぜ安全なのかという科学技術の視点からの議論が乏しかった。55年体制の下では、議席数の少ない野党の反対は、ただ単に反対の意見を聞くだけで終わり反対意見は封じ込められた。作家の高村薫氏がTVの中で「原子力の問題が政治の世界ではイデオロギーの問題として捉えられていたことが不幸であった。」と述べられていた。これは的確な指摘である。

 

 

危険に対して鈍感

何らかの原因で、運転中の原子炉を非常停止しなければならない事態が発生し、炉心を十分に冷却することが数日間にわたってできない状態になれば、炉心がメルトダウンすることは原子力関係者ならば誰でも想像することができる。使用済核燃料を貯蔵する場合でも、まだ大量の崩壊熱を放射している核燃料には正常な冷却が重要であり、冷却不能となる事態がいかに深刻であるかも関係者にとっては自明である。

 

それにも関わらず、「原子力ムラ」の人達は危険性に鈍感になっていた。その例を以下に示す。

 

危険に鈍感な例

ベント設備を改善していなっかたため、水素爆発が発生した。

建屋の4階に重さ数千トンのプールを配置するというトップヘビイの構造に疑問を感じなかったのか。もしも地震の揺れが原因でプールに亀裂が入り、冷却水が漏れだしていたら使用済核燃料の冷却が止まり、大事故になっていた。


スポーツジムの場合、建物の上部にプールを置く例は幾つかあるが、プールが壊れても下の階を水浸しにするだけである。

東京電力の福島第1原子力発電所には6基、柏崎原子力発電所には7基の原子炉が建設されている。1基が危機的な事態に陥ったとき、他の原子炉へ危機が連鎖するのではないか。福島第1では少ない人数(約50名)で6基の原子炉の危機に対応しなければならなかった。

2012年の6月に明らかになった秘密会議の件である。原子力委員会が主導する原子力政策大綱の勉強会として、2011年11月から原子力ムラの関係者だけが秘密会議を開き、そこには原子力大綱会議で議論される資料が配付されていたと報道された。


この原因は、原子力ムラは与党であるから原子力を推進するためならば何をやっても認めてもらうことができるとしたアナクロニズムの考え違いにある。世界がグローバルなものになった時代に生きる現代人の意識としては誠に情けない。
秘密会議は、原子力基本法第2条の民主・自主・公開の3原則に違反している。

甲状腺はヨウ素を取り込む性質がある。原子力災害が発生すると大量の放射性ヨウ素が環境に放出され、それを人が摂取する恐れがある。しかし、既に甲状腺に普通の非放射性のヨウ素が沢山存在していれば、甲状腺は放射性ヨウ素を取り込むことがない。従って、ヨウ素剤は放射性ヨウ素の摂取を防ぐ薬である。

 

福島第1原子力発電所で2011 年3月11日に原子炉の冷却ができないという事態が確認され時点で、直ちに福島県に備蓄されていたヨウ素剤を発電所地域の住民に配るべきであった。緊急事態が発生したにも関わらず、事態を重大事故と認めることを躊躇し、福島県がヨウ素剤を配布することにストップをかけた原子力安全委員会の責任は重大である。

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は原子炉施設から大量の放射性物質が放出された場合に、大気中の放射性物質の濃度や線量率の分布を予測するシステムである。福島事故の際に、放射性物質が飯舘村方向の北西に流れることを予測したにも関わらず、原子力安全委員会はデータを公表しなかった。パニックを避けるためであったのかもしれないが。そうとも知らずに飯舘村に避難し、再度そこから別の場所に避難する羽目になった人は怒っている。

 

緊急時のために開発された道具が実際の緊急時に役立てることができなかったことは非常に悲しい。SPPEDIの計算結果とほぼ同じ情報を欧米の機関はインターネットに公表していた。日本が放射性物質の放出マップを公開しないことによって、諸外国が日本を信用しなくなった。

原子力関係者は意識改革を

Niouzou

福島第1原子力発電所でレベル7の原子力災害が発生したこと、九州電力公聴会におけるやらせ問題、原子力委員会における秘密会議などによって日本における原子力関係者への信用は失墜した。信用の回復なくして原子力発電の再開はあり得ないのではないか。

原子力関係者に求められていることは意識改革である。55年体制に守られた思考様式から脱皮して、21世紀グローバル社会に通用する価値観をもつことである。もう一度、原子力基本法の3原則に思いを巡らすべきである。

 

ウラン濃縮技術と兵器級プルトニウムを除けば、原子力分野で秘密にしなければならないものはないと考える。大衆がパニックになるから情報を公開しないという判断はアナクロニズムであり、関係者に勇気がないだけである。原子力災害は日本だけでなく諸外国にも影響を及ぼす災害であることを忘れてはならない。

 

原子力ムラの各々が自分は一体どの部分で何を間違えていたのかと反省しなければいけない。津波対策を強化したから大丈夫とはいかないのではないか。事故は色々なパターンで起こるものであり、福島第1事故と同じものは恐らく起きないであろう。次に起きるものは、再び想定外のものであろう。モグラたたきの次のモグラは何か?

 

原子力規制庁が間もなく発足するが、人員を集め組織形態を整えるだけでは不完全である。仏を作るだけではダメで、仏に魂を入れることが肝心である。

 

福島事故に関する提言