社会や音楽etcについて

 

YKKな人々

2016.04.03

 

ひところKYという言葉が流行りました。人が集まったとき、その場の「空気が読めない」人のことをKYと言った。やや軽蔑を込めた言葉であった。しかし、KYな人は社会に有害な影響を与える存在ではない。

 

ここで取り上げるのはYKKな人々である。YKKとは「読まない、書かない、考えない」ことを指す。

 

YKKな人達は社会を良い方向に発展させることに余り貢献しない。その理由を以下に示す。

 

「読まない」

新聞を例としてあげると、社会問題に対する関心が薄い人は新聞を見るだけである。TV番組欄と天気予報だけを見る。しかし、社説、解説記事、個人の意見・見解などを読まない。考えるための材料となるものを読まない。

 

「書かない」

書く内容は自分で感じたこと、考えたことなどである。メールで、どこそこのランチが美味しいとか、面会の連絡などの実用を伝える文章は書くことの対象外である。ここで想定する文章の内容は、書き手である個人が感じたことや思考したことなどである。文章を書かないと、他人に伝えたいことを整理する作業が欠落する。そうなると自分の考えをきちんと纏めることが難しくなる。

 

「考えない」

考えないと言うことは、読んだこと、聞いたこと、学習したこと、感じたことなどを元にして、自分なりの意見や考えを生み出さないことである。工夫がなければ、これまでなかったものを創造することができない。新製品を生み出すことができない。

 

多くの人は日常の生活や仕事では、手慣れた作業を楽々とこなしてゆく。手慣れたものであれば、それなりに成果を出すことができるため、その作業に満足し、改善することを怠る。改善しなくても作業が進むからである。よく言えば、伝統を守ることであり、悪く言えば、マンネリである。

Rodin

 

ロダン作品の画像集より転載

 

残念ながら、多くの人はYKKに属する。人々は自分の生活に直結しない事柄に関心を示さない。収入に影響する景気には興味があっても、自分の生活に直結しない社会問題には関心が薄くなる。例として以下に2つの問題をとりあげる。

 

原発再稼動の問題

原子力発電の仕組みを理解することが難しい。しかも、原発から遠く離れた場所に住んでいると原発を自分の問題として捉えることができない。結果として、再稼動問題への関心が薄くなる。

 

安全保障問題

憲法の扱いが絡む安全保障問題を自分に関与する問題として理解を深めることは容易でない。安全保障問題の根底にある21世紀の世界情勢を正しく理解することが非常に難しいことが原因であると想像する。中国の問題や北朝鮮の問題も複雑である。そうした場合、好きか嫌いかといった感情的な二者択一の思考になりやすい。

 

notYKKな人々

YKKの逆をnotYKKと呼ぶことにしよう。もし、人々が自分の生活する領域の外にある世界に関心を広げるならば、自分達とは異なる考え方や異なる工夫があることに気づくであろう。あるいは、蓄えた知識と経験を活かして、自ら新しいことを考えだすことが可能となる。これがイノベーションである。

 

自分の内面に関する事柄であれば、外部からの知的刺激や見聞したことを自分なりに整理することにより、それを知性に取り込むことができる。知的レベルを高めることができる。そうした人が知性豊かな(intellectual)人であると思う。

 

さて、イノベーションを起こすことができ、しかも知性が豊かな人はいるのか?

 

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