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広島原爆とドレスデン爆撃

2016.06.06

 

広島

2016年5月27日、オバマ米国大統領が広島を訪れ、平和記念資料館を見学した後、心に響く17分間のスピーチを行った。オバマ大統領が原爆投下を謝罪しなかったことに失望した人々がいたようだ。しかし、私は、オバマ氏が米国内にある厳しい世論の縛りの中で精一杯の言葉を述べた格調の高いスピーチであったと評価している。

 

謝罪の言葉を求める前に、原爆が投下された時、日本は米国と戦争を継続していたこと、第一次世界大戦以降の国家間戦争では一般市民も無差別に攻撃されるようになっていたことを思い出して欲しい。日本はポツダッム宣言の受諾を遅々と決断することができないまま、1945.8.15を迎えたのであった。

 

原爆投下に対する謝罪を米国に求める資格が日本にあるとは思えない。そうであっても、原爆を実際に広島に投下する前に、米国は巨大な威力を持つ原子爆弾の完成を日本に告げ、日本に降伏を促す道もあったのではないかと思う。

 

広島では、原爆によって9万人〜17万人の人々が2〜4か月以内に死亡したと推定されている。爆心地の近くでは熱線により、やや離れた場所では放射線影響により亡くなった。誠に悲惨なことであった。(参考資料:広島市への原子爆弾投下—Wikipedia)

 

ドレスデン

私は1976年〜1978年にドイツのユーリッヒ原子力研究所に原子核物理学研究のために滞在した。ある日、研究仲間のドイツ人PKと広島原爆の話をしたとき、PKは同じような悲劇がドレスデンでも起きていたことを教えてくれた。

 

ドイツが制空権を失い、敗戦がほぼ決定していた時期の1945.2.13〜2.15の3日間、北ドイツのドレスデンがイギリス空軍及びアメリカ空軍によって無差別爆撃を受けた。これは戦略的に意味のない空襲であった。ドレスデン爆撃は、ドイツ軍によって空襲を受けたイギリスのドイツに対する報復であった。イギリスによる報復の話はフランス人の友人から聞いたものである。

 

当時、ドレスデン市内には20万人以上の避難民がいたと推定されている。空襲による一般市民の犠牲者の正確な数は不明であり、2.5万人から15万人と言われる。
(参考資料:ドレスデン爆撃-Wikipedia)

 

マンハッタン計画

マンハッタン計画とは米国が行った原子爆弾の秘密開発プロジェクトである。ドイツ滞在中の1977年、米国フロリダ大学のRS教授が研究グループの一員としてやって来た。ある日、私がRS氏にマンハッタン計画に参加したのかどうかを質問したら「Yes」との返事。具体的に何をしたのかは話題としなかったが、彼は「今にして思えば、マンハッタン計画は間違っていた」と感想を述べた。

 

RS氏がウラン濃縮プラントの設計に携わったことを、数年前にインターネットを介して知った。大学卒業後に徴兵され、そこからマンハッタン計画に引き抜かれたとのこと。彼はマンハッタン計画に関与した数少ない生き残りの一人でしたが、2016年2月、93歳で亡くなった。

 

 

参考資料

 

オバマ氏の演説 全文(日本文)毎日新聞2016.05.28

http://mainichi.jp/articles/20160528/k00/00m/040/171000c

 

Full text of Obama's speech at Hiroshima (英文) 毎日新聞2016.05.28
http://mainichi.jp/english/articles/20160527/p2a/00m/0na/037000c

 

 

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