私はドイツのユーリッヒ原子力研究所の原子核物理部門に1976〜1978の2年間滞在し、インビームガンマ線分光学の研究をしていた。この研究は原子核の内部構造を調べるものであり、原子力研究からかけ離れた分野であった。その当時、毎日、昼食時に食堂へ向かう途中でフェンスの外側に原子炉建屋を見ていたが、中身がどのような原子炉であるのかは知るよしもなかった。実は、それがAVRであった。
ドイツは1950年代から高温ガス炉の研究を始めていた。高温ガス炉を研究開発する目的でArbeitsgemeinshaft(研究開発連合)という組織が官民の協力によって作られた。研究開発連合が試作した実験炉がAVRであった。AVRにはドイツ独自のペブルベッド型の原子炉が採用された。
AVRはドイツのユーリッヒ原子力研究所に建設され、1966年に初臨界を達成した。熱出力が46MW、発電出力が13MW(1.3万kW)であった。運転を開始したばかりの1966年にガス温度650℃〜850℃が得られた。1974〜1986年の間、公称最大温度950℃の運転が行われた。
AVRが建設された地域では石炭が産出し、露天堀が行われている。その関係で、高温ガスを利用した石炭のガス化が検討されたようだ。高温ガス炉には、もう一つ目的があった。それは、中性子吸収の少ない黒鉛を減速材に用いる利点を活かしてトリウム(トリウム232が自然存在率100%)を原料として核分裂性のウラン233を増殖することであった。
図1a 稼働中のAVR建屋 右奥のクーリングタワーから蒸気が 出ている |
図1b 廃炉途中のAVR施設 クーリングタワーが撤去され、跡地に倉庫 らしい建物 |
「ユーリッヒの実験炉:廃止される原子炉」から転載 |
21年間の運転の後、AVRは1988年12月にシャットダウンされた。その理由は@ガス温度が810℃を超える運転ができなくなったこと、A石炭ガス化に技術的な疑問が生じたことと言われている。
1988年のシャットダウン後、AVRの廃炉が始まった。廃炉途中のAVRの写真を図2に示す。格納容器の中央に青色の圧力容器が見える。核燃料を取り出す過程で炉心の黒鉛反射体に亀裂が生じていることが判明した。その亀裂に数百個のペブル燃料が挟まっていた。悪いことに炉内がストロンチウム90に強く汚染されていた。もっと始末が悪いことに炉内汚染物がダスト状であった。
ストロンチウム90は核分裂生成物であることから、核分裂生成物を微小燃料球・ペブル内に閉じ込める機能が損傷していたことが明らかである。原因として、製造過程の品質管理に問題があったこと、あるいは被覆材料の黒鉛に問題があったことが挙げられている。1988年の運転停止から約25年を経た2014年現在も、廃炉に向けた除染作業が行われている。
図2 上から見た解体工事中の原子炉本体 および圧力容器(青色) |
専門家によるAVRの事故調査が2011〜2014に行われ、最終調査報告書が2014年4月に公表された。調査によって、重要な問題や逸脱行為が隠蔽されていたことが明らかにされた。例えば、運転員が原子炉に障害が発生したことに気づきながらも運転を継続し、炉を緊急停止するまでに6日も要した事例。
AVRの炉型はペブルベッド型と呼ばれる。その仕組みを模式的に表したものが図3である。表核燃料は直径6cmのテニスボール大の球であり、これをペブルと言う。これを炉上部から炉心に向けて入れる。ロート状の部分にペブルが沢山集まり、そこが炉心を形成する。使用済みのペブルは炉の下部から排出される。この方式では、運転中に新燃料を上から投入し、下から使用済み燃料を取り出すことができる。炉心は鋼鉄製の圧力容器の中にあり、炉心内部および周囲をヘリウムガスが循環し、炉心を冷却する。図3の模式図が示すように、圧力容器の内部に熱交換器が置かれ、ヘリウムガスが冷却される。
図3 ペブルベッド型原子炉の模式図 「Pebble-bed reactor」から転載 |
図4のCGは格納容器と圧力容器の関係を示し、圧力容器(高さ24.9m、直径5.8m)が黄色で表示されている。格納容器の寸法は不明であるが、格納容器と圧力容器の間には2〜3mの空間があることが見て取れる。
図4 圧力容器と格納容器のCG | 図5 AVR圧力容器内の縦断面図 |
「ユーリッヒの研究炉:廃止される原子炉」から転載 |
図5はAVR圧力容器の縦断面を示す。頂上部に蒸気発生器(黄色)が置かれている。発生した蒸気は蒸気タービンに送られ、発電に利用される。蒸気タービンから出た蒸気を水に戻すための冷却はクーリングタワーによって行われる。炉心のペブルベッド(赤色)の周囲は黒鉛反射体で覆われている。使用済みのペブルは下部のペブル排出管を通って取り出される。
表1 AVRの主要な仕様
プロジェクト開始 |
1961年 |
初臨界 |
1966年 |
熱出力 |
46MW (4.6万kW) |
電気出力 |
13MW (1.3万kW) |
炉心の平均出力密度 |
2.6MW/m3 |
炉心の高さと直径 |
2.8m 3m |
原子炉圧力容器の高さと直径 |
24.9m 5.8m |
減速材 |
黒鉛(グラファイト) |
冷却材 |
ヘリウム |
燃料と核燃生成物質 |
U-235 Th-232 |
燃料集合体の形式 |
ペブルベッド型 |
ガス圧力 |
1.08 MPa |
平均燃料温度 |
642℃ |
最高燃料温度 |
1041℃ |
平均出口ガス温度 |
720℃未満 (1966〜1970) |
出力蒸気温度 |
505 ℃ |
核燃料は直径が0.5〜0.7mmのゴマ粒大の黒鉛球に詰められた微小燃料球である。ここまでは、日本のHTTRと同じである。燃料は天然ウラン酸化物とトリウム酸化物の混合物である。酸化物の代わりに炭素が結合したカーバイドも想定される。微小球燃料は核分裂生成物(多くは放射性)を閉じ込めるために、図6の右側に示されるような多層構図になっている。微小燃料球は1600℃程度の高温でも放射能を閉じ込める性能をもつ。
数千個の微小球燃料を、直径が6cm、テニスボール大の黒鉛球に詰めたものがペブルと呼ばれる。ペブルは熱の除去と放射性生成物の閉じ込めの役割を担う。図7はペブルを手に持った写真である。
図6 ペブル燃料の内部構造 | 図7 ペブルの外観 |
AVR Reaktorの画像検索より選択 |
PBR原子炉のコンセプトは、図3に示すように、新鮮なペブル(燃料球)を原子炉の上から供給し、使用済みペブルを下から取り出す仕組みであった。設計当時は黒鉛球のペブルは順調に流れると考えらたが、実際には摩擦のせいで想定したようにはペブルは流れなかった。これもAVRシャットダウンの原因であった。
ペブルベッド型炉では炉心にペブルが挿入されるが、どのペブルがどの位置に納まるかは正確に予測することができない。これは、運動会で行われる玉入れ競争において、投げ込まれた玉が籠の中のどこに落ち着くのかを予測することができないことに似ている。
その結果、ペブル集団の燃焼度がどのように分布するのかを予測することが難しい。AVRでは炉心の温度分布を測定する機器が装備されていなかったせいで、炉心の最高温度は分からず終いである。どうやら計算よりも200℃以上高かったようだ。
炉心の方位角方向(円柱の炉心を上から見たときの時計回りの角度)の温度差が200℃以上あったことが後に判明。これは方位角方向に熱出力が大小ばらついていたことを指す。
原子炉の頂上部に設置された蒸気発生器が損傷したが、その原因は想定以上に高温(>1100℃)のヘリウムガスが炉内を循環したことにあるようだ。しかし、詳しいことは分かっていない。
AVR炉内が放射能汚染されたことはペブル燃料の核分裂生成物閉じ込め性能が不完全であった。考えられる原因は、正常運転でも、もし核分裂生成物に固有の制限温度を超えれば、金属性の核分裂生成物が被覆層や黒鉛中を拡散し、外に漏れ出すことである。
ペブル燃料の製造にあたっては品質管理が重要である。管理が完璧であったても、燃料球の構造上、燃料内部に温度や放射線の測定器を入れることができない。その結果、炉心にある燃料の燃焼度や温度をリアルタイムに把握することができない。燃料球が燃料設計で想定した温度を超えたとき、核分裂生成物(放射能)の閉じ込め性能が劣化し、圧力容器内が汚染される。
ドイツはユーリッヒとカールスルーエの2カ所に原子力研究所を設置し、原子力研究を推進していた。両研究所は日本の原子力研究所に匹敵する規模である。ドイツが東西に分断されていた時代、西ドイツは日本の半分くらいの規模であったにも関わらず、2つの研究所をもっていた。この事実は、当時のドイツが原子力研究に日本の何倍もの力を入れていたと考える。
1980年代以降、酸性雨などの環境問題の影響からドイツは環境に敏感になっていった。その延長から原子力研究は下火になっていった。チェルノブイリ事故は大きなインパクトをドイツに与えた。AVRとTHTR-300の失敗も効いて、ドイツは原子力研究を事実上、放棄する。それを明確にするために、2つの原子力研究所は、ユーリッヒ研究センター
およびカールスルーエ環境研究所と看板を書き換え、現在に至っている。
更に、福島事故のインパクトによって2011年にドイツは脱原発を政治決定した。
石炭(褐炭)はベルトコンベアーで火力発電所まで輸送される。石炭の露天堀はユーリッヒ研究所に迫っている。図8は露天堀に使われる巨大なバッガーの写真である。石炭層は地表から100mほど下に、厚さ約2mで拡がっている。石炭採取の前に厚さ100mの地層が削り取られ、脇に高さ100〜200mの人口の山が造られる。石炭は近くの発電所までベルトコンベアーや貨車で輸送される。写真の背景に発電所のクーリングタワーから水蒸気が立ち上っている様子が見える。
図8 石炭露天堀のバッガー Braunkohleの画像検索結果から転載 |
AVR (Jülich) – Wikipedia | http://de.wikipedia.org/wiki/ AVR_(Jülich) |
Pebble-bed reactor | http://en.wikipedia.org/wiki/ Pebble-bed_reactor |
Radiochemical Characterisation of Graphite from Jülich Experimental Reactor (AVR) | http://www-pub.iaea.org/MTCD/ publications/PDF/ngwm-cd/PDF-Files/paper%2013%20(Bislinghoff).pdf |
Forschungszentrum Jülich - Fragen und Antworten zum AVR-Rraktor |
http://www.fz-juelich.de/portal/ DE/UeberUns/ selbstverstaendnis/ verantwortung/avr/ FAQ_AVR/_node.html |
Versuchsreaktor Ju¨lich – Ein Kernkraftwerk wird stillgelegt (ユーリッヒの実験炉:廃止される原子炉) |
http://neunkw.de/?p=314 |
A safety re-evaluation of the AVR pebble bed reactor operation and its consequences for future HTR concepts | http://juser.fz-juelich.de/record/ 1304 |
PBR safety revisited | http://www.neimagazine.com/features/ featurepbr-safety-revisited |