原子力のあり方を考える
2011.3.11の大地震をきっかけとして、福島第一原子力発電所では、3基の原発の炉心が相次いでメルトダウンした。史上最悪の原子力事故が発生である。この原発事故に対して菅直人総理(当時)は幾つかの勘違いを犯していたと思う。
菅直人氏は東京工業大学・応用物理学科の卒業生であり、私の3年後輩である。彼は物理化学が専門の研究室に所属しており、原子力を勉強したことはないはず。しかも、当時の東京工業大学は大学紛争の最中であり、大学は開店休業の状態。落ち着いて勉学・研究ができる環境ではなかった。
菅氏が原子力を大学で勉強されたとは思えない。しかも、原子力発電は非常に多様な分野に支えられたシステムであり、原発の全体像を理解することは簡単ではない。国会議員の中で少数派の理系であるけれども、大学卒業後に原子力を独学されたとも思えない。
吉田調書から分かることは、原子力に詳しいと自負する菅直人氏が原子力災害の陣頭指揮をとられたことが現場に不必要な混乱を招いていたことである。総理大臣がやるべきことは他に幾らでもあったはずである。
3.12早朝の福島原発視察 |
菅総理の福島第一視察の画像集より |
福島第一原発が巨大津波に襲われた3.11当日の真夜中には1号機の炉心メルトダウンが現実のものになりつつあった。炉心への注水を行うために、原子炉圧力容器の圧力を下げることが必要であり、圧力容器内のガスを外部へ逃がすことが必要であった。すなわち、炉心ベントである。
しかしながら、炉心ベントの操作は簡単ではない。原子炉運転操作盤に「ベント」のボタンがある訳ではない。しかも、現場は停電中であり真っ暗闇。遠隔操作のベント弁を駆動する高圧圧縮空気もない。現場の放射線量率は非常に高い。劣悪な環境でのベント作業である。炉心ベントは、運転員が一生の間にまず経験することのない操作である。
ところが、現場から遠く離れた官邸では誰もが、「ベント」ボタンがあり、それを押せばベントが直ぐできるものと考えていた。そのような簡単な操作が何故できないのか。いら立つ訳である。ここに、想像力の欠如がある。
菅直人総理は辛抱できず、福島原発の視察を決行する。事故対応に必死の現場の様子を想像することができていない。吉田所長にとっては大迷惑。その意志表示としてか、吉田所長は免震重要棟の大部屋ではなく、それとは別の小部屋で菅総理と面会した。
菅総理が乗ったヘリコプターが福島を離れた数時間後に1号機が水素爆発をした。結果として、数時間の時間差はあったけれども、もしも視察中に水素爆発に直撃されていたら大変な事態になっていた。