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2016.04.20
自民党憲法改正草案の前文を読むと、現行憲法の前文に比べて格調が低くいことが分かる。国のために国民がなすべき事は書かれているが、国が国民のために何を約束するのかが書かれていない。
改正草案には、国防軍や緊急事態条項のように目立った項目の他に、重要な思想・概念が随所にさりげなく埋め込まれている。そうした目立たないけれども見過ごすことのできない事項を採り上げる。
「主権在民」から「主権在国」への転換
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現行憲法の前文は「日本国民」で始まる。国民から選挙された代表者が行動し、「主権在民」を宣言。国政は国民の信託によるものであり、国は国民の福利のために権力を使用するとある。
改正草案の前文は、「日本国」という言葉で始まる。国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守ることが求められている。その他にも国民が行うべき事項が幾つか記されている。
つまるところ、現行憲法の「国が国民の福利のために奉仕する」という基本概念から改正草案では「国民は国を守るために奉仕する」という真逆の基本概念になっている。
端的に言えば、「国が国民に奉仕する」から「国民が国に奉仕する」への大転換である。
改正草案は、その前文の中で、「日本国は天皇を戴く国家」と記す。これは、天皇が国の最高位者であり、天皇の下に国民が存在する構造である。
第1条では、「天皇は日本国の元首である」とし、「日本国および日本国民統合の象徴」と続く。
要するに、天皇は日本国の最高位にあり、国民を統合する。この概念は1945年以前の大日本帝国憲法(以下の1条と4条)に通じる。
第1条
大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
第4条
天皇は国の元首にして統帥権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ
元首であると同時に象徴であることは矛盾していると思う。元首はリアルな地位・役職である。それに対して、象徴は地位でも役職でもない。ましてや国民でもない。
そこで、勘ぐりを入れるならば、まず元首兼象徴としての天皇でスタートし、後で、これは収まりが悪いので象徴を取り除くという魂胆かもしれない。何しろ、「象徴」という言葉は美しいので。
現行憲法の99条で、天皇は憲法を擁護する義務を負うことになっている。しかし、改正草案の102条では憲法を擁護する義務を負わない。
要するに、改正草案によれば、天皇は日本国の最高地位者(元首)であり、憲法を擁護する義務を負わない存在である。天皇は憲法の上に位置することになっている。
現行憲法では、12条および13条において、「自由および幸福追求に対する国民の権利は公共の福祉に反しない限り尊重される。」とある。言い換えると、公共の福祉、すなわち多数の国民が幸せになることが妨げられない限り、国民の権利が尊重されることが規定されている。
改正草案では、国民の権利は公益及び公の秩序に反してはならないと規定されている。この真意は、国を統治する側の利益が損なわれない範囲に国民の権利が制限されることである。
国民の権利が制限されるときの条件が、多数の国民が幸せになることを妨げる状況から、国の政策実施に障害や不都合が生ずる状況に変更される。
端的に言えば、国民の権利が制限される条件が、国民の幸福から国の利益に変更される。
第13条では、国民として尊重される対象が現行憲法の「個人」から、改正草案では「人」に変更される。この変化は、パット見た感じでは、気づかないかもしれない。しかし、よく眺めてみると、大きな違いに気づく。
「個人」というのは、何処の誰であるのか等、その個人を不特定多数から区別されている。氏名、住所などを考えることができる生身の人間を指す。
他方、「人」は氏名不詳、匿名のヒトであり、そうした存在の集合も含まれる。例えば、ネットワーク空間で自分を隠し、匿名で意見を述べるヒトである。半ば、バーチャルな存在と言える。
「人」を持ち出した改正草案の作成者に、生身の人間として国民を捉える意志を見ることができない。
第9条を含む第2章の見出しが「戦争の放棄」から「安全保障」に書き換えられている。改正草案の意図は、台頭する中国の太平洋進出に対抗して軍事力を増強することにあると想像する。集団的自衛権の容認と同じ方向のことである。
中国に対抗するために、まず行うべきことは外交政策の強化であり、その次が自衛力の増強であると思う。特に、外交というソフトパワーを強化し、日本を外国から嫌われない、尊敬される国にすることが大切である。ソフトパワーは軍事力よりも格段に廉価である。
自衛力の増強を図るとき、中国の拡大する軍事力に勝るものを目指すことは愚かである。
中国のGDPは、今や、日本のGDPの3倍くらい。これが4倍、5倍に拡大する時期が来るかもしれない。軍事力が経済力の指標GDPに比例すると仮定するならば、日本が中国の軍事力に追いつくことは不可能と言える。
中国には優秀な人材が沢山いる。現時点で、日本の技術力が中国の技術力を凌駕しているとしても、いずれ中国の技術力は日本に追いつき、追い越すであろう。
東西冷戦という2極化の20世紀を経て、21世紀は多極化の世界になっている。この21世紀に対応できる日本国の制度設計が先にあり、憲法は未来の日本に対応したものであって欲しい。