社会や音楽etcについて
本来ならば日本人が日本のことを書くべきなのに英国人に書かれてしまった。と言う思いを強くした2冊の本がある。英国人であるカズオ・イシグロの「浮世の画家」と英国人ジャーナリスト・リチャード・パリーの「津波の霊たち」である。
イシグロは戦後に長崎で生まれ、5歳の時に英国へ渡った。生い立ちから、太平洋戦争のことを知らないはずである。そのイシグロが何故、戦争を盛り上げる体制翼賛の社会を、それに巻き込まれた画家を通して書いたのか。書くことができたのか。
恐らく、彼が成人してから書物から得た情報や両親・親戚から聞いた話を元に戦時中および戦後の日本社会を調べたのであろう。主人公の画家は戦時中に社会の雰囲気に流されて戦争を鼓舞する絵を若い画家達に沢山描かせて稼いだ。戦後、残った戦争絵画を自宅に隠すも、戦犯に問われることに怯える生活を送る。昔の名声が邪魔になる戦後である。
小説はフィクションである。他方、リアルな世界では戦後に日本で暮らすことを恐れてフランスへ渡った画家がいる。学校でも学んだことがある有名人であり、誰もが知る画家である。そのような人が戦争宣伝の絵画を描いていた。このことは知人から聞いたものである。
体制翼賛の時代を知る日本人は多くいたけれども、何故か、それを取り上げて書いた人がいない。単に、私が知らないだけかもしれないが。
NHKは、「浮世の画家を描く」の番組を作成し、2019年の春に放映した。私は偶然にこの番組を見ることができた。力を入れた番組であったと思う。しかし、内容には疑問を呈する部分もあった。特に、ロンドンまで出かけてカズオ・イシグロにインタビューした部分に?を感じた。インタビューした人が小説を十分に読んでいないせいか、本質をはずした質問ばかりをしていた。体制翼賛の部分に踏み込んでいなかった。多分、イシグロ氏も変だなと思われたことと想像する。私は見ていないが、同じころ、1時間半のドラマ「浮世の画家」が放映された。小説に沿った内容とのことである。
ラファエルのマドンナ ウイーン歴史美術博物館蔵 |
これは東日本大震災の日、2011年3月11日に石巻市の大川小学校で起きた悲劇を克明に描いたルポである。新聞記者である著者は、多くの関係者にインタビューをした。悲劇に出会った多くの人々に、長い期間に渡り、聞き取りを続けた。被害者の心を開くために辛抱強く何度も訪ね、膝を交えて語ることで大切なことを引き出した。それは霊である。日本人が自然に抱く死者の霊を日本人ではなく英国人が聞き出したのである。
東北地方には霊を仲介できるイタコに代表される超能力者がいる。そのような超能力者が登場し、家族の霊に悩まされる人を霊から解放するエピソードが出てくる。実際にそうした場面を経験したことのない私には想像することができないが。
霊と並行する主題が大川小学校の悲劇である。大川小学校では子供達と教師が校庭に避難しているところを津波に襲われて亡くなった。著者は悲劇の原因や責任について真実を追求した。長い時間をかけて何が起きていたのかを調べ上げた。責任のあり方を追うと、そこには石巻市教育委員会・小学校校長などの組織と関係住民との対立が浮かび上がる。
津波が襲来した当日、校長は公務で小学校を留守にしていた。しかし、悲劇発生後、校長はしばらく小学校を訪れることなく、訪れた際には亡くなった子供達について言及することはなかった。
日本人が持つ機微な感情が報告されている。子供を亡くした親同士は、遺体が見つからない内は仲良く友達でいられる。どちらかの親の子供が先に見つかった途端、見つかっていない親との仲が悪くなる。人は災難の中では、僅かな差を見つけて、幸せを感じ、逆に運の悪さを嘆く。遺体が1日でも早く見つかった親は、まだ見つかっていない人よりも自分は幸せと感じるとのこと。広い視点から見れば同じ不幸なのに、不幸の中に細かい差異を見つけて喜んだり、悲しんだりするようだ。
育児休暇中の中学校の女性教師の話題が紹介される。彼女は自分の娘が中々見つからないことから、自分も捜索に参加することにした。彼女は重機操作の資格を得た後、重機をレンタルし捜索を始めた。それでも、娘の遺体は見つからず、捜索を断念する。目的が叶わず無念であったであろう。できる限りのことをしたから諦めることができたのかもしれない。諦めた時点で休暇中の職を辞めたとのこと。彼女の精神力と実行力に感嘆する。
福島第一原発 グーグルマップから転載 |