本物の音楽
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グレーテ・ ヴェーマイヤーの場合 |
2007年1月、久し振りにグレーテ・ ヴェーマイヤーの家を訪ねた。昼食が終わったところで、彼女がベートーベンの熱情ソナタの第1楽章を弾いてくれた。ピアノは古いベヒシュタイン。勿論、ゆっくりとしたテンポで。一つ、一つの音が深く吟味され、音と音の間の間合いを大切にし、一つとして「以下同文」といった単調さはなく、緊張感が連続する演奏であった。一音、一音の関係を塾考し、楽譜に書かれた内容を自分の解釈に従って音楽を形成している。音と音の関係、音の流れ、流れの構成、それらの結果としての表現したいものは何か。そうしたものが作られたとき、音楽が出来上がるのではないか。涙が出るほどの感動を与えた。このような演奏は2度と同じものにならないはずである。80歳に近い年齢になっても、新しく演奏する音楽の中身を考えていることが伝わった。
ヴェーマイヤーは1980年代に武蔵野音大の客員教授として東京に1年ほど滞在した。同大の客員教員セルヴァンスキーのコンサートに、ヴェーマイヤーに誘われて家内が出かけた。会場の中にアニー・フィッシャーを見つけたヴェーマイーヤーが、家内に、あそこにアニー・フィッシャーが座っていると教えてくれた。その方向を見ると、確かに独りの老婆が座っていた。残念ながら、当時、家内はアニー・フィッシャーというピアニストを十分に知らなかった。会場に居た聴衆も気がついていなかったようだ。ヴェーマイヤーから見れば、アニー・フィッシャーは尊敬すべき大ピアニストである。アニー・フィッシャーはハンガリー出身であり、セルヴァンスキーもハンガリー出身である。たまたまコンサートのために東京に来ていたフィッシャーが同郷の若いピアニストのコンサートを応援するために来たのであろう。
かつてドイツに滞在していたとき、家内にピアノを教えた先生である。彼女はケルン大学の音楽教授を辞した後、音楽に関する著作やラジオ放送で生計を立てている。共産党員の娘として育ち、クラシック音楽のテロリストと自称し、ハーフテンポの音楽を主張している。モーツァルト、ベートーベンの時代に人々は今の半分のテンポでゆっくりと弾いていたというのがハーフテンポの根拠である。もっとも、口の悪い、他のピアニストは「ヴェーマイヤーは年をとって普通の速さでピアノを弾くことができないから」と言っていたが。
普通ではないヴェーマイヤーは音楽界では無名であるが、「本物の音楽はかくあるべき」という考えをしっかりと持っている人である。親から引き継いだケルン市内の家は外壁に木の板が描かれ、周囲の家並みとはかけ離れている。家の中は更にアヴァンギャルトである。壁や天井は奇妙な絵がペイントされ、家具も特殊。暖炉はロココ風の城に見られる家具のように彩色されている。広いバスルームは超モダンに装飾されている。 |
私がドイツに滞在していたときのグループリーダーのクラインハインツは「プラスチック」という言葉が好きで、良く耳にした。普通のドイツ人は「プラスチック」という言葉を口にしない。この言葉は、インチキなもの、紛いもの、偽物、伝統的でないもの、に対して用いられた。あるとき、ヴェーマイヤーも全く同じ意味で「プラスチック」を使ったとき、意味が直ぐに理解できた。びっくりしたことは、物理学者と音楽家が同じ言葉を同じ意味で使った事実である。どちらの人も普通ではない。
ケルンの郊外にロココ建築の階段で有名なブリュール城がある。あるとき、緑色の大理石で造られた階段の間で行われる室内楽コンサートに出かけた。夏は夕方でも明るいので、城の周りの公園を歩いていたらモダンなオブジェに出会った。その芸術作品の表示板に書かれていたのが「プラスチック」で大笑い。材質がプラスチックであるとの意味であろうが、作品のタイトルが「Plastic」となれば、この作品は偽物であると受け取られる可能性もあるのに。