社会や音楽etcについて

 

個性的は魅力だ

20140610

 

「個性的だね」が若者のあいでは悪口であるとのコラムが毎日新聞(2014.6.10)に出ていてびっくり。「個性的」である人は仲間うちで目立つことになり、目立たない「個性的でない」ことを吉とする傾向が強いらしい。これは大変ゆゆしい傾向だと思う。

自分の意見、価値観を持とうとせずに、多数の人々の思考や動向に自分を合わせ、それによって摩擦の少ない生き方を指向しているようだ。こうした若者が増えた原因は一体何であるのか?学校教育なのか、家庭教育なのか。ひょっとしたらインターネットやスマホなのかもしれない。

 

インターネットで検索すれば容易に沢山の情報が手に入れる。しかし、簡単に入手できる情報の価値は低いと言いたい。価値の低い情報を沢山集めても知識にはならない。情報を知識まで高めるためには、問題に関心を持っている人との会話、本を読むことから作者のメッセージを受け取ることが必要であろう。

 

スマホを通したひっきりなしの短い会話から仲間意識は強くなるかもしれないが、そこでの会話は仲間はずれにならないことが大事で、仲間と意見が同じになることを意識するであろう。自分の考えを表すことを避け、他人と同調することを指向する。残念なことである。

 

世間ではイノベーション、成長戦略が話題となっている。要するに今までにない何か新しいものを創造し、それでもってお金を稼ごうということ。日本が生き残るためにはそうした新しいものの創造は必要である。それを目指すとき、均質で個性的でない、自己主張しない人の集団からイノベーションを期待することは難しいと思う。

 

米国のシリコンバレーを日本にも作りたいと霞ヶ関の役人は政策を考えるが、シリコンバレー社会を上からの指示で作ることは不可能であろう。仏という形はできても魂は無理。個性と野心を持った人々が集まり、それを支援する人も集まる。失敗しても敗者復活が可能であるとのこと。失敗も評価されるそうである。米国という国のあり方、文化が背景にある。これが魂だろうと思う。ユニークな人の集団が魂を作るのであろう。

 

私は30代、40代のとき、ドイツの研究所に滞在した。そこでは、ドイツ、イタリア、ポーランド、米国、フィンランド、トルコ、スペインなどの人達と出会い、現在も友人関係は続いている。その理由は何か。友人達は国民性も異なるが、とにかくユニークである。彼らが私を友人扱いしてくれる理由は私もユニークだからと想像する。

 

他人と同じではなく、他人とは違った見方、意見、表現ができる「個性」が国際社会では評価されると思う。「個性的」であるために追加したい大事なことは「感性」である。「美しい」を感じ取ることである。

 

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