社会を観察して感じたこと

 

外国では

 

ロシアでの両替

ユーロが登場する前の時期、モスクワでは銀行、ホテルの両替窓口、町中の両替商にて日本円からルーブルへの両替は極めて簡単であった。1万円札を1枚出せば、ルーブル札を紙幣カウンターで枚数を数えた後、そのカウンターが表示する数値にうなずき、30枚ほどのルーブル紙幣を受け取る。枚数確認のため数えることはせず、札束の厚さで納得したものでした。
ところが、ユーロがスタートした年に、いつものように日本円でルーブルを買おうとしたら両替を拒否されました。この年からロシアでは日本円が外貨のリストから消えた訳。これはショックでした。

1989年9月に初めてロシアに出かけた時、それはロシアで金融危機が発生した直後の時期でした。市中の銀行は全て営業を停止。宿泊したホテルはロシア科学アカデミーが運営しており、宿泊代金はルーブルでしか受け取らない。日本円や米ドルは十分に持っているのにルーブルが手に入らない。街でのちょっとした買い物もできない。ロシアの科学者もルーブルへの両替ができなくて困っていました。クレムリン近くのホテルの中にある両替商が午前と午後の2回、ほんの数分かだけ営業をするのを待ってルーブルを買った。さらに、通りがかりの市内の両替商がオープンしているのを見つけてルーブルを買いました。最終的にはホテルの支払ができるだけのルーブルを手に入れることができました。
交換レートは不安定であり、同じ両替商で午前と午後でレートが20%くらい違いました。


両替商の用心棒

ロシアの続きです。ロシアには幾つかの科学研究所があります。その中の一つが実験理論物理研究所(ITEP, Institute of Experimental Theoretical Physics)です。ITEPは帝政ロシア時代の貴族の屋敷跡をスターリン時代に研究所にしたようです。上記の科学アカデミーホテルも貴族屋敷跡と思われる敷地にありました。2回目のロシア訪問はITEPで行われた小規模な会議に参加したときであり、ITEPのゲストハウスに泊まりました。このゲストハウスは地下鉄の駅前にあり、研究所から徒歩で30分くらいの距離です。実は、このゲストハウスは2階にあり、その階が1階にある両替商の裏口と共通でした。ゲストハウスの入口は大きな建物の裏口にあり、この裏口を両替商も共有しています。旧ロシア時代のホテルがそうであったように、

ゲストハウスの宿泊者は入口のデスクで部屋の鍵を管理人から受け取ります。他方、両替商の用心棒は軍隊の特殊部隊で訓練を受けたことが明らかに分かる筋肉質の屈強人物で、黒装束に機関銃を持っています。目付きは鋭く、体格もそろっています。映画に登場するSWAT隊員そのものです。そうした用心棒が5〜6名おりました。武装した用心棒達がドドットと廊下を足早に過ぎるのとすれ違いわけです。時たま、管理人が留守をしているとき、用心棒がその代わりをします。用心棒は受け付けデスクの上に武器を置き、両足をデスクの上に載せてイスに座っており、その人物から部屋の鍵を受け取る次第。建物外部の入口にはカメラ付きインターフォンがあり、顔を見せてから遠隔操作で入口扉が開きます。扉は5重と極めて厳重で、これは防護と防寒のため。

現在がどのような状態なのかを知りたいので、もう一度訪ねたいゲストハウスです。ITEPの副所長とは10年以上の付き合いがあり、モスクワで1泊するならば、いつでも手配してくれるのですが。ただし、朝食が出るのですが、これが実に質素。

 

くわえタバコで給油

1985年のブルージュ、ベルギーでのこと。沢山の運河があり、中世の雰囲気を残す観光地ブルージュからの帰途、街道脇の小さなGSで給油をした。個人営業のGSであり、ヒゲ面の店主が給油ノズルを持ち、給油してくれた。驚くべきことに、彼は火の付いたタバコを口にくわえたまま給油をした。どう見ても、これは日常的な行いであった。

社会を観察して感じたこと