社会を観察して感じたこと

 

幼稚園のユニフォーム

毎朝の通勤時に幼稚園の前を通っている。幼稚園の園庭にはお揃いのユニホームを着た可愛い園児を見ると、ほほえましいなと思うと同時にゾッとする感覚に襲われる。
なぜ、子供達が全員、他人と同じ服装をするのか。そして園児達は母親達が見守る中、一斉に大きな声で「先生、おはようございます。皆さん、おはようございます。」と叫ぶ。なぜ、普通の大きさの声で挨拶をしないのか。こうした光景は日本の多くの幼稚園で当たり前のことであろう。園児達は皆と同じことをする毎日を経験し、それによって、子供達は「自分は他人と違う」という感覚を失うのではないかと危惧する。

さて、今や世界はグローバリゼイションの中にあり、外国との関係抜きでは社会が成り立たない。「自分は他人と違う」という感覚は国際社会で日本人が生きるための基本的な感覚であるが、それが上記の幼稚園教育では子供達の体内に造られないか、造られにくい。皆と同じ発想をし、同じ行動をすることでは外国との付き合いは難しい。ユニホームが幼稚園からなくなってから20〜30年後に、初めて国際人が生まれるのかもしれない。これでは手遅れか?

幼稚園を選ぶなら、ユニホームのない幼稚園を薦めます。

大人も、多くの人が同じような服装、姿をしている。他人と異なる姿をして、他から浮き出ることを避ける感覚である。お金に少し余裕ができると、海外ブランド品を求める。ある日、新横浜駅で新幹線を待っていたときに待合室で目撃した衝撃的な事実。さほど広くない待合室の中を見渡したところ、9人の女性がよく目立つルイヴィトンのバッグを大切そうに、半ば誇らしげに持っていました。ルイヴィトンの生産地であるヨーロッパの駅や街中では絶対にあり得ない光景である。

幼稚園と同様なことをするのは、軍隊での新兵訓練であろう。大声で叫ぶ訓練の目的は、何度も大声で叫ぶことを繰り返すことにより、物事に疑問をもつ思考力を消去し、個性も感性もないロボットを造ることである。このような新兵訓練をTVで見たことがある。軍隊では個人としての自覚、人間の尊厳を忘れさせ、それによって思考しない人間ロボットを造り上げないと、危険な戦場に兵士を送り込むことができない。思考力や感性があっては人を殺すことはできない。

 

電車が止まらない駅

ある駅のプラットホームの壁に「電車は当駅には止まりません」という表示板が掲げられていました。電車が止まらない駅とは???何だこれは。表示板に近寄ってよく見ると、「急行」という頭の2文字が赤色で画かれていたが、赤色が太陽光線により退色し、文字が消えていたことが判明した。退色しにくい赤色インク・ペイントを製造することが難しいためですが、その理由は何でしょうか?

 

お詫びの車内アナウンス

私が利用する通勤電車では、以下の謝罪アナウンスをよく耳にする。

「○○時ごろ○○駅でお客様の救護をしたため、当電車は予定よりも5分ほど遅れて運転しております。お急ぎの所、誠に申し訳ありません。お詫び申し上げます。」乗客が気分悪くなったり、急病になることに鉄道会社には何の責任もないはず。お詫びする必要はない。ただ単に救護したこと、遅れていること、事実だけを周知すれば十分である。人身事故、悪天候、災害による遅延もお詫びする必要はない。

遅れが発生したら、原因とは無関係にお客に謝っておけば苦情を言ってくる人はいないだろう、という安易な、甘い発想が見え見えである。

お詫びして欲しいのは、信号故障、車両故障、車両点検など鉄道会社のミスが原因で遅れたり、運休になる場合である。

 

 

社会を観察して感じたこと