原子力、エネルギー、放射線についての解説

 

危機一髪で助かった福島第2

 

福島第2発電所はメルトダウンを起こした福島第1発電所から直線距離で12kmしか離れていない。震源までの距離は、どちらも約170kmである 。


幸い、福島第2発電所の4基の原子炉は無事に冷温停止することができた。福島第1のような深刻な事故に至らなかったせいか、福島第2の状況が新聞・TVなどによって報道されることがほとんどなかった。震災から11ヶ月を経た2012年2月になって、やっと福島第2発電所で何が起きていたのかが報道関係に公開された。

 

その公開の場において、福島第2所長は「福島第一原発と同様の事態まで、紙一重だった」とコメントした。

 

福島第2発電所で実際に何が起きていたのかを調べることは簡単ではない。まず福島第2発電所に関する報道が極端に少ない。次に、東京電力が震災直後から1時間毎に福島第2発電所の状況をインターネットに公開しているが、残念ながら、その内容は原子力安全・保安院向けの極めて事務的なものである。この内容では、具体的な設備で何が起きていたのかを知ることができない。沢山のトラブルが同時発生していため、大衆に実情を知らせるための公開文書を冷静に作成する余裕がなかったのかもしれない。

Fukushima1,2 Map

図1

福島第1、第2の位置関係


福島第2発電所では、3号機だけが正常な状態であった。原子炉冷却に必須な海水ポンプが各号機ごとに2台、全部で8台設置されていた。しかし、津波から生き残っていたのは、8台の内で、1台だけであった。それが3号機の海水ポンプであった。
その結果、8台中の7台が故障したため、1,2,4号機では原子炉冷却に必須の海水を供給することが一時的にできない危険な状態が発生した。炉心のメルトダウンに繋がる危機的な事態が起きていた。

 

Fukusima2 Site View

図2 福島第二発電所の主要施設の配置

 

津波は1号機の右側(南側)から遡上し、1号機の周囲まで到達したが、2,3号機への浸水は僅かであった。海水ポンプは海辺の8棟の建屋内に設置されていた。扉などから侵入した海水がモータの電気絶縁を破壊した。


2011年3月11日に震災が発生したとき、福島第2発電所では1〜4号機の原子炉がフル稼働をしており、440万kWの電力を発電していた。この発電量は、同じ日に福島第1発電所が発電していた電力の約2倍である。と言うことは、もしも、福島第2発電所において福島第1発電所と同様なメルトダウン事故が起きれば、関与する放射性物質量はざっと2倍も多くなったかもしれない。福島第2では、発電量が多い分だけ、地震によって緊急停止した原子炉を無事に冷却し、冷温停止にもってゆく作業は大変であったと想像する。

 

両発電所の衛星写真(図1)を見る限り、地形条件に大きな違いはない。それにも係わらず、原子炉建屋の基礎地盤に置かれた地震計の記録を比べると、福島第2発電所の揺れ加速度は福島第1発電所の揺れ加速度のほぼ1/2である。そのせいで、地震動による設備の損傷が非常に軽かったようである。それでも、高所で作業をしていた作業員1名が亡くなる不幸が起きていた。

 

 

幾つかの幸運が危機を救った

 

外部電源の一系統が津波来襲後も生き残っていた。そのお陰で、原子炉運転制御室には電力が供給されていた。制御室は明るく照明され、各種の計測器も正常に稼働し、原子炉のパラメータ(温度、圧力、水位など)を読むことができ、原子炉の状態を把握することができた。

4号機の定期点検が終わって間もない時期であり、しかも、震災発生の3月11日は金曜日の午後早い時間帯であったため、約2000名の作業員が片付け作業などのために発電所構内にいた。

そのお陰で、津波によって故障した海水ポンプまで、仮設の電力ケーブルを人海戦術で敷設することができた。1本200mのケーブルは1トンの重量があり、ケーブルの総延長は9kmであった。

 

もし、地震発生が数時間遅れていたら、あるいは土曜日や日曜日に地震が発生していたら、2000名の作業員は構内に居らず、人海戦術をとることは出来なかった。

 

8台の海水ポンプは海辺の建屋内(図2)に設置されていた。これが幸いし、7台が故障したとは言え、ポンプ本体は津波の破壊力を直に受けておらず、ポンプ上部のモータや電源系統が海水に浸かり、絶縁不良を起こしていただけであった。

 

電力ケーブル、海水ポンプ用モータなどの資材に在庫があり、それらを各地から緊急輸送することができた。海水ポンプの緊急復旧作業が間に合い、1,2,4号機は正常な3号機から2〜3日遅れて冷温停止することができた。

 

 

福島第2の良かったこと

8台の海水ポンプが各々海辺に建てられた建物の中に設置され、津波の直撃を免れた。そのため、問題は浸水したモータが電気絶縁を喪失したこと、および電源盤が故障したことに絞られた。その結果、モータを洗浄して電気絶縁を回復させ、あるいは緊急に取り寄せたモータと交換し、更に仮設ケーブルを敷設することによって電力を供給できるようにして冷却機能を回復することが間に合った。

 

福島第1では、海水ポンプが建屋内に設置されておらず、海水ポンプは津波の直撃を受け、ポンプが破壊されたようである。従って、例え、外部電源あるいは非常用電源が回復したとしても、海水ポンプは機能せず、原子炉の冷却はできなかったものと思われる。

 

原子炉建屋およびタービン建屋の地盤が福島第1の1〜4号機の地盤よりも堅固であり、地震による揺れ加速度が福島第1の1/2であった。このお陰で、地震動によって原子炉の主要な設備が破壊されることを免れた。その結果、海水ポンプが故障した1,2,4号機では、海水ポンプ系が復旧された後、原子炉の冷却を再開することができた。

 

福島第1では、地震動による原子炉機器の損傷はなかったとされているが、その事実が明らかになるのは数年あるいは数十年先であろう。

 

原子炉建屋およびタービン建屋が標高12mの位置に設置されており、襲来した津波の高さ9mよりも3m高い位置であった。それでも、1号機の南側から通路を遡上した津波は1号機原子炉建屋まで到達し、ルーバーやハッチを通して建屋に侵入した。幸い、津波が原子炉建屋およびタービン建屋を破壊することはなく、浸水量も少なかった。そのため、津波被害は限定的であった。

 

福島第2原子力発電所には4基の原子炉があり、いずれも1982〜1987年に運転を開始した、福島第1の原子炉よりも新しい。原子炉の型式は全てBWR5 であり、これはGE社(米国ゼネラルエレクトリック社)が製造した沸騰水型原子炉の5世代目のモデルである。


図3に示すとおり、原子炉格納容器は、1号機がマークU型であり、2〜4号機がマークU改良型である。マークU改良型はマークU型よりも少し大きくなっているが、原子炉本体の型式が同じBWR5であるため、緊急時に原子炉を冷却するシステムが共通である。

 

この結果、震災時に原子炉冷却に問題が発生した1,2,4号機への対応が同様なものとなり、危機への対処をシンプルなものにしたと想像される。

 

福島第1には6基の原子炉があり、それら全てに危機が発生した。危機の内容は各々異なっていた。
1〜3号機に限っても、危機への対処法が異なる。1号機だけが原子炉型式BWR3であり、緊急時の冷却装置が非常用復水器(IC, Reactor Core Isolation Cooling Condenser)である。他の原子炉とは異なるシステムであったために、運転員は非常用復水器の操作に不慣れであり、混乱が起きた。


2,3号機では原子炉隔離時冷却系(RCIC; Reactor Core Isolation Cooling system)が炉心を冷却する。RCICは、外部電源や非常用電源を喪失した際に、発電用とは別のタービンに蒸気を送り、その動力が発電する電力を種々のポンプに供給し、冷却するシステムである。当然のことながら、RCICの操作はICの操作とは大きく異なる。更に、3号機はMOX燃料(プルトニウムを燃料に含む)を使用しており、炉心の発熱分布は2号機の場合から少し異なっているかもしれない。

 

 

BWR Container

図3 福島第1,2発電所の原子炉型式と格納容器  (参考資料10より転記)

福島第一 1号機

 

福島第一 2〜5号機

 

福島第一 6号機

福島第二 1号機

 

福島第二 2〜4号機

 

 

表1 福島第2発電所と福島第1発電所の比較

 

福島第2

福島第1

原子炉の基数

4

6

震源からの距離(km)

約170

約170

襲来した津波の高さ(m)

9

14

津波の想定高さ(m)

5.2

 

主要施設の標高(m)

(1-4号機)

原子炉建屋  12
タービン建屋 12



 


海水熱交換器建屋 4

(1-4号機)
原子炉建屋   10
タービン建屋  10
(5-6号機)
原子炉建屋   13
タービン建屋  13


海水熱交換器建屋 なし

海水ポンプは露出

地盤の沈下量(m)

0.7

 

津波の遡上

南側を1号機原子炉建屋(図2)までやって来た。

2,3号機建屋への浸水は僅かであった。

 

浸水した主要施設
(扉、ルーバー、ハッチを通して浸水)

原子炉建屋 (1号機)
電源盤、ディーゼル発電機が故障

 

海水熱交換器建屋
1,2,4号機の海水ポンプ故障

原子炉建屋 (2,3,4号機)

タービン建屋(2,3,4,6号機)

地震の最大加速度
(ガル)


原子炉建屋基礎地盤上で観測された値

1号機 上下方向 305
2号機 南北方向 243
3号機 南北方向 277
4号機 上下方向 288

1号機 南北方向 460
2号機 東西方向 550
3号機 東西方向 507
4号機 東西方向 319
5号機 東西方向 548
6号機 東西方向 444

原子炉スクラム

3月11日14:48
1〜4号機の原子炉およびタービンが自動停止

3月11日 14:47
1〜3号機の原子炉およびタービンが自動停止

外部電源

4系統のうち1系統が生き残った
500kV 1号 ◎
500kV 2号 変電所損傷
66kV  1号 点検中    3/13復旧
66kV  2号 避雷器損傷  3/12復旧

6系統の全てを喪失した

 

66kV 仮設配電盤 3/15

66kV 移動配電盤 3/18

66kV 5号機    3/20

ディーゼル発電機

海水冷却式12台のうち3台が生き残った
(3号機の2台, 4号機の1台)

海水冷却式10台の全てが故障
空冷式3台のうち1台(6号機)だけが生き残った

海水ポンプ

(残留熱除去海水系)

8台 (1〜4号機各2台)
のうち7台が故障


3号機の1台のみ生き残った

12台

(1〜6号機各2台)
の全てが故障

原子炉制御室の状況

外部電力が供給されており、原子炉のデータ(温度、圧力、水位など)を把握することができた

15時39分、津波によって非常用ディーゼル発電機が故障し、1〜4号機では全ての交流電源を喪失。
停電のため、原子炉の計測データを得ることが非常に困難となった

津波の海水ポンプへの影響

海水ポンプは海水熱交換器建屋の中にあったため、ポンプ本体が津波の衝撃を直に受けなかった。 浸水したモータだけが故障した。

 

海水ポンプ(1〜6号機)は、標高が4mの屋外にあり、津波の衝撃によって破壊された。

 

原子炉の危機

1,2,4号機では、原子炉の除熱に必要な海水ポンプのモータが故障し、海水ポンプ機能を喪失。


残留熱除去系(RHR)が機能を喪失し、原子炉を冷却できない事態が一時発生。

1〜3号機では、原子炉の崩壊熱を海水に移す熱交換器が機能を喪失。

 

炉心のメルトダウンが進行。

原子炉の圧力抑制機能喪失

3月12日午前5時過ぎ
1号機、2号機が、
3月12日午前6時過ぎ
4号機が圧力抑制機能を喪失

 

海水ポンプへの対応

海水熱交換器建屋まで仮設のケーブルを敷設し、外部電源から電源を確保。

 

1号機 モータ交換
   (三重県から空輸)
2号機 洗浄でモータ回復か
3号機 正常
4号機 モータ交換
   (柏崎刈羽から陸送)

 

幸運

電源盤の一部および直流電源は海水に浸かることを免れた。

 

幸運

4号機は2011年2月24日まで定期検査が行われていた。その片付け作業などのために3月11日(金)には約2000名の作業員が発電所構内にいた。

 

仮設ケーブル

3月11日に電源ケーブルを東電の資材センター(茨城県土浦市)からヘリコプターで輸送した。
12日未明から2日間、昼夜連続で海水ポンプに電源をつなぐ作業を行った。仮設ケーブルの総延長は9km(総重量45トン)。こうした作業が津波で失われていた原子炉の冷却機能を回復させた。

 

冷温停止

1号機 3月14日 17時
2号機 3月14日 18時
3号機 3月12日 12時
4号機 3月15日 7時

 

作業員の事故死

3月11日23:00
排気筒のクレーン操縦室に閉じ込められた重傷者1名
3月12日 17:17
クレーン操縦室から地上へ搬送された重傷者の死亡が確認された

 

海水ポンプの役目

@原子炉が正常に運転されているときは、タービンから出た蒸気を冷やして水に戻す復水器に海水を供給する。
A原子炉停止後、崩壊熱を除去するために海水を熱交換器に供給する。

 

 

 

表2 福島第2発電所の発電設備

 

1号機

2号機

3号機

4号機

2011.3.11時点

稼働中

稼働中

稼働中

稼働中
2011.2.24に
定期検査終了

電気出力(万kW)

110

110

110

110

営業運転開始

1982/4

1984/2

1985/6

1987/8

原子炉形式

BWR5

格納容器形式

マーク-2

マーク-2改良

炉心燃料集合体数

764

764

764

764

 

 

表3 福島第1発電所の発電設備

 

1号機

2号機

3号機

4号機

5号機

6号機

2011.3.11時点

稼働中

稼働中

稼働中

停止中
炉心に燃料なし

停止中
定期検査

停止中
定期検査

電気出力(万kW)

46.0

78.4

78.4

78.4

78.4

110

営業運転開始

1971/3

1974/7

1976/3

1978/10

1978/4

1979/10

原子炉形式

BWR3

BWR4

BWR5

格納容器形式

マーク-1

マーク-2

炉心燃料集合体数

400

548

548

548

548

764

 

 

参考資料

東北地方太平洋沖地震における福島第一原子力発電所及び福島第
二原子力発電所の地震観測記録について
2011.4.1 保安院
http://www.meti.go.jp/press/2011/04/20110401013/20110401013.pdf

 

福島第二原子力発電所4号機定期検査終了について
2011.2.24 東京電力
http://www.tepco.co.jp/nu/f2-np/state/unit4/htmldata/4u110224-j.html

 

福島第二原子力発電所
フリー百科事典『ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/福島第二原子力発電所

 

「BWR発電所のあらまし」
―東電・福島第一原子力発電所の事故を振り返って―
鈴木征四郎 NPO放射線安全フォーラム
http://www.jrsm.jp/shinsai/0801suzuki.pdf

 

東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について(概要)
平成23年5月23日 東京電力株式会社
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu11_j/images/110524c.pdf

 

当社福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所における津波の調査結果について
東京電力 プレスリリース2011年23年4月9日
http://www.tepco.co.jp/cc/press/11040904-j.html

 

福島事故からのプラント設計における教訓と対策
日立GEニュークリア・エナジー株式会社
2012年2月17日
原子力学会安全部会セミナー資料 資料3
http://www.aesj.or.jp/~safety/H240130siryou3.pdf

 

8

福島第二発電所はどうなっているの
岡本 孝司
エネルギーレビュー2012年12月号

 

9

特集「地震・津波被災を乗り越えた原子力発電所」
福島第二原子力発電所
増田 尚宏
エネルギーレビュー2013年1月号

 

10

福島第一原子力事故対応の概要
〜 論点と教訓 〜

原子力学会資料
2012年3月19日
東京電力(株)原子力品質・安全部長 福田俊彦

http://www.aesj.or.jp/information/2012spr_spsession/2fukuda_r1.pdf

 

11

プレスリリース 2011年 (東京電力  2011年5月16日)

東北地方太平洋沖地震発生以降の当社福島第一原子力発電所内外の電気設備の被害状況、外部電源の復旧状況等に係る記録に関する報告書の経済産業省への提出について http://www.tepco.co.jp/cc/press/11051605-j.html

   

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